| 一生モノに出会うには・・・ |
「一生モノ」、この言葉には惹かれるものがあります。
人生を共に歩むだけのクオリテイを備えたモノ。
その物が静かに自分を待っているかのような気にさせてくれます。
男性であればこの「一生物」という言葉に弱い方は結構いらっしゃるのではないでしょうか?
しかし、一生モノは本当に一生持ち続けることができるのでしょうか?
一生持ち続けるためには、そのモノのクオリティ、材質、製作技術は当然重要ではあります。
それだけのクオリティがあるからこそ、一生モノを表明しているのでしょうから。
しかし、モノのクオリティだけではなく、「者」、持つ側に問題があるかもしれません。
持ち続ける気がするか?ということです。
簡単に言えば飽きないか?
ということです。
私は何度かありました。これは良い一生モノに値するものだ。
孫の代まで使ってなどと、購入時は思ってみたものの、幾年か経つとその時の年齢、仕事、環境または流行
などによって一生添い遂げると心に誓ったモノが色あせて見えることが・・・・・。
当然、モノはまだまだ使えます。
一生使えると標榜しているわけですから。
しかし使い続けられるだけの物ではなく、者にモノを見る目、モノを使う環境を経験してからでないと
一生付き合うべきものがわからない。それはデザインであったり、機能であったりします。
ある手帳の皮革に惚れて購入したのですが、
1年くらい使用して使わなくなってしまいました。
ところが、数年たって過去の幾数の手帳の山ををひっくり返して見て、こんな良いモノをどうして使わなくなってしまったのか
と過去の自分が不思議でなりませんでした。
どうして使わなくなってしまったのだろう。いいじゃないこれ。
まるで青い鳥のお話のような。
一生付き合えるだけのクオリティは重要ですが、一生付き合えるだけの眼が自分にあるのか・・・・ということを。
考えようによれば、こういうことの繰り返しによって一生持っているのかもしれません。
ある時は持つことに飽きても時期が来れば再認識されることもあるのかと思います。
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